満鉄調査部は日本の学問の発展に大きく 寄与した 第 2,722 号

 日清戦争が始まった1894年(明治27年)から、

ソ連からの引き揚げ船が舞鶴に入港する

1956年(昭和31年)までを歴史学者・

宮脇淳子氏が完全解説。

 「なぜ満洲と呼ばれるのか?」といった素朴な

疑問から、「旅順虐殺の真相」「関東軍の謀略

は本当にあったのか?」「日本と欧米の植民地

政策の大きな相違点」など、日本人と中国人

の歴史観のギャップによって見えなくなっ

てきた「史実」を解き起こす、まさに

「真実の満洲史」である。

 中国の立場から見た歴史観にも、戦後日本の

自虐史観に則らない、世界から見た「史実」

とはいかなるものか?中国共産党・毛沢東

によって書き換えられた歴史を鵜呑みに

してきた日本人に、真実の歴史を解説

していく。

 歴史とは勝者によってつくられる。 「今回の

『真実の満洲史』では、大陸と日本との関わ

りが一番の焦点になります。それこそ、わ

れわれ戦後の日本人が正面から向き合う

ことを避けてきた、もっとも不得手な分野です。

 満鉄調査部の地域研究能力

初代満鉄総裁の後藤新平と

二代目総裁の中村是公が、

鉄道用地買収のために

現地調査を行なったのが、

満鉄調査部の始まりです。

 新しく土地を統治するときは、土地が誰の

ものかが一番大事です。後で紛糾を起こさ

ないように、後藤新平が台湾で成功させ

た現地調査と同じやり方を持ち込んで、

土地を接収するときの補償金を払う

ための現地調査を行ないました。

 日本は台湾統治を始めたとき、旧慣調査と

いって、とにかく何重にも重なった土地

の権利関係をまず調べました。

 これは非常にレベルの高い研究でした。台湾

に漢人たちが入植してからそれほど経って

いませんでしたが、それでも百年位の

間に、一番いい目抜き通りの土地

や建物は代々、抵当が重なり、

持ち主が誰かわからなく

なってしまっていました。

 貸し借り関係が非常に複雑で、書類もたく

さんありました。それを日本人がすべて

調べあげたのです。

 そこで初めて中国人の商業と

経営のやり方がわかりました。

 じつは何千年も歴史があるといっても、

中国では土地の権利関係について何の

調査もしていません。中国には調査

記録がないのです。

 いまだに台湾の旧慣調査が世界で唯一、中国

人の土地借用の権利関係を徹底的に調べた

現地調査だといわれています。そんな

ことができたのは日本人だけです。

 満鉄調査部は最初は土地取得のための調査を

しましたが、その後は、風俗調査や民族調査

などを行ない、「満鮮地理歴史研究報告」

をまとめました。

 満鉄調査部は文系の研究だけでなく、地質

研究所や産業試験所などもでき、獣疫研究

所や衛生研究所も設立されました。

 後藤新平と中村是公がお金を出してくれた

おかげで、満鉄調査部は日本の学問の

発展に大きく寄与しました。

宮脇淳子 (著)『真実の満洲史。

         1894ー1956』

の詳細及び書籍購入はこちら ⇑

  今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

スポンサードリンク

♥こちら噂の話題満載情報♥

ぜひ、いいね!を「ぽちっ」とお願いします

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください