満州の首都.実態は諜報活動とアヘン取引を両輪とする極秘特務機関 = 2-2 = 第 923 号

 里見はその後、天津の邦字新聞

「京津日日新聞」の記者となる。

 彼はここを足がかりに軍の信頼を勝ち

取りやがて日本内地のメディア統合

の先駆けとして、現在の電通と共同

通信を誕生させる発端ともなる、

満州国通信社を立ち上げることになる。

 そして同文書院時代、中国の奥地深く

まで探査したように、中国大陸のもう

一つのメディアともいうべき阿片の

世界に没入していくことになる。

里見が中国社会の奥深くまで人脈を広げ

ていくことができたのは、一つには、

中国語が堪能だったためである。

 大陸生活が長くなるにつれ、里見の

中国語は、本物の中国人と間違わ

れるまでに上達していった。

 もう一つは、里見の仁侠肌

の性格である。

 まだ26歳という若さで、大物軍閥に

平然と会見する度胸の良さは、図

々しさともとられかれない。

 だが同文書時代、「三国志」や「水滸伝」

に熱中した生一本な性格は、むしろ、

それをプラスの評価に転じさせた。

 「人は組織をつくるが、組織は

人をつくらない」

 里見は晩年、そう言っていたという。

 1939年、当時の陸軍省軍事課長だった

岩畔豪雄の命令で、「昭和通商」と

いう軍需国策会社がつくられた。

 公的な記録には一切出て

こない謎の会社だ。

 昭和通商は、軍部のなかば強制により、

三井物産、三菱商事、大倉商事の、三

大財閥に各500万円ずつ出費させ、

1500万円の資本金でスタート

した一大マンモス商社だった。

 同社は最盛期には3000人近い社員をかか

ニューヨーク、ベルリン、ローマ、

バンコク、マニア、シンガポール、

北京、南京、広東、そして満州

の首都の新京などに支店網をめぐらせた。

 昭和通商は、表向き陸軍の旧式となった

武器を中近東などの第三国に輸出する

一方、タングステンなどの貴重な

軍需物資を現地調達していた。

 だが、その実態は諜報活動とアヘン取引

を両輪とする、陸軍の完全コントロール

下におかれた極秘特務機関だった。

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今回も最後までお読みくださり、

    ありがとうございました。感謝

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