昔から日本の政界には裏取引の達人が多い 第1,428号

 交渉事は相手に勢いがあるときは静観だ。力の

均衡が崩れたときこそ“出番”となる。

 三木の策術にはまった格好で大野は数度の接触

の上、ついに保守合同へ向けて合意する。後日、

大野は自著の中で、こう述懐したものだった。

 「私の話に対して、彼の答えは意外なほどまじめ

 だった。じっと目をつぶり、三木さんの話を

 聞いているうち、私も感激してしまった。

  私の目の前にいる三木さんは、長い間、政敵

 だった三木さんとはまったく別個のものを

 感じさせた。“古ダヌキの三木”ではなく、

 その心境は中秋の名月のように澄み

 切っているのではないか。

 戦後政治史の中で変幻自在の処世術を駆使、「稀代

の謀将」と名を残しているのがこの三木武吉である。

 三木武吉は明治17年、香川県高松市生まれ。

首相の三木武夫とは親戚関係ではない。

 ♠明治39年、司法試験合格。翌年、弁護士業開業。

 ♣大正6年、衆議院議員に当選。以後連続6選。

 昭和14年、報知新聞社長。

 ♦昭和17年、21年の総選挙にて当選したが追放。

 昭和26年追放解除以来、保守合同の立役者

として活躍。昭和31年、死去。

 三木も吉田茂も、悪型であるが、そのあり方も、

大衆に与える印象も全然違う。吉田はワンマン

で、憎々しいまでにその独裁ぶりを発揮した。

 吉田は「毛なみ」はいい。三木は、弁護士資格

をとって政界に出たけれど、東京市の疑獄に

連座し、一度ならずクサイ飯を食ってい

る。いわば完全な野武士である。

 三木の実力は何人も否定できない。いつまで

つづくかわからぬと思われた吉田を政権の

座からひきずりおろしたのは、主と

して三木の力である。

 三木は、逆手とりの名人である。

 彼は前田米蔵や大麻唯男などとともに名うて

の「寝業師」として通っていた。昔から

日本の政界には裏取引の達人が多い。

 三木については、いろいろと伝説めいた

話が伝えられている。ある演説会場

で、聴衆の一人から、

 「あなたは妾を5人お持ちだそうだが、

 指導的地位にあるものとしてそれ

 でいいのですか」

と質問を受けた。

 これに対して彼は、

 ♥「5人というのは間違いで、実は6人です。

 いずれも若気の誤りで仲良くなった女

 たちですが、私を離れて生活がで

 きないので、今も私がめんどう

 を見ているのです。

  この際、突き放して路頭に迷わしたほうが

 いいか、それとも今後なお世話をしていっ

 たほうがいいか、あなたのご指導

 を願いたい」

 と答えたところ、場内は拍手

で沸き立ったという。

 めかけの数を多く修正することによって、

人の意表をつき、完全に逆の効果をもた

らしたのである。この逆手戦法は、

彼のもっとも得意とするところ

で、政治の面でもしばしば用いている。

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 今回も最後までお読みくださり、

       ありがとうございました。感謝!

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