彼は組織の動かし方や根回しが怖いほどうまい 第 263 号

 敗戦、シベリア抑留、賠償ビジネス、防衛庁商戦、

中曽根政権誕生…。元大本営参謀・瀬島龍三の足跡は

そのまま、謎に包まれた戦中・戦後の裏面史と重なる。

 エリート参謀は、どのように無謀な戦争に突っ走って

いったのか。

 なぜ戦後によみがえり、政界の「影のキーマン」と

なりえたのか。

 幅広い関係者への取材により、日本現代史の暗部に

迫ったノンフィクション。 日本推理作家協会賞受賞。

 戦時中、大本営参謀として陸軍を動かした瀬島龍三は、

戦後、商社マンに転身し、それから30年足らずで

政財界の中枢部に駆け上がった。

 瀬島は、1911年生まれ、陸軍士官学校、陸軍

大学校を卒業。

 部隊勤務を経て、参謀本部に配属。

 終戦間際に、満州の関東軍総司令部に転出し、その後、

ソ連軍に連行される。

 11年間シベリアに抑留され、44歳のとき帰国。

1958年、伊藤忠商事に入社。

 いくつかの幹部、副社長、副会長、会長を歴任。

 その後は、政治の分野で大臣や総理のブレーン、

根回し役をこなした。

 参謀本部作戦課での瀬島のおもな役割は、課内の

さまざまな会議で出された意見をまとめ、報告書や

命令書などの文書にすることだった。

 それを陸軍省や参謀本部の首脳たちに見せ、

説明する。

 元参謀の高木作之は語る。「会議の流れを的確

にまとめ、文章化する能力がずば抜けていた。

 瀬島さんは利口だから事前に服部課長や田中部長の

意向を聞いているからね。

 それで理路整然と説明されると、東条さんや参謀

総長だって納得してしまう。

 瀬島さんは作戦課のいろいろな会議に出ていたから、

一番全般的な情報を持っていたし、服部課長や田中部長

からも信頼されていた」

 瀬島龍三は語る。「大変な作業でしたよ。

僕の人生であれだけ膨大な机上の作業はほかになかった」

 瀬島のいう大変な作業とは、1941年12月8日に

始まる、陸軍のマレー半島上陸作戦の準備のことだ。

 瀬島は、作戦準備のため、わら半紙数枚つないだのを

お経本のように、折りたたみ胸ポケットに入れていた。

 それは『南方作戦準備一覧表』が書いてあって

作戦会議のときに印刷して皆に配った。

 一覧表をびっしり埋めた作戦スケジュールであった。

 渡部亮次郎によると、瀬島が園田直外務大臣ら

政治家に重用された理由は、参謀時代に培われた

瀬島の整理能力だ。

「現実の政治はいろいろな問題が、複雑に入り

組んで星雲状態にある。

 それを瀬島さんはいつも整理して箇条書きに

していく。

 政治家というのは自己顕示欲ばかり強くて、

自分を取り巻く状況が分からない人が多いから、

 それをきちっと整理して示されてみて初めて、

自分を客観視できるようになる」

 瀬島は1981年発足した第二次臨時行政調査会

(臨調)入りをきっかけに、政治の表舞台に躍り出た。

 彼は、「裏臨調」と呼ばれる作戦本部を設け、

政官財界の利害調整を一手に引き受けた。

 臨調会長土光敏夫の秘書、居林は、こう語る。

「彼は組織の動かし方や根回しが怖いほどうまい。

瀬島さんこそ参謀の中の参謀だと思ったよ」

 田中章『沈黙のファイル:瀬島龍三』

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