常に考えて自分の考えが実現できる時を常に探っておくんだ 第1,199号

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1 常に考え、常に探る
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 梶田 隆章(東京大学宇宙線研究所所長)
   ×
 外尾 悦郎(サグラダ・ファミリア

           芸術工房監督)

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 2015年にノーベル物理学賞を

受賞された梶田隆章さん。

 研究者としての歩みを支えたの

が、恩師である小柴昌俊さん

からの教えでした。

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【梶田】
 私が研究室に入った時は、まだカミオ

カンデは建設されていないどころか、

地下空洞の掘削も始まっていませんでした。

 当初は建設を進めるために、複数の

研究機関が協力し、分担しながら

取り組んでいたと聞いてます。

【外尾】
 そういう中で準備段階から

携わられたのですね。

【梶田】
 はい。岐阜県神岡鉱山の地下1,000メー

トルの場所に、3,000トンの水を貯め

る直径・高さそれぞれ約16メート

ルもの巨大な施設をつくるにも

拘らず、当時のメンバーは

たったの10数人でした。

 空洞掘削と水槽建設が終わって、光電子

増倍管(高感度センサー)の取り付け

が始まったのは1983年3月頃のことです。

 当時、神岡鉱山はまだ採鉱をしていまし

たので、私たちは鉱山の人たちと一緒

にヘルメットを被り、毎朝7時10分

に小さなトロッコに乗って坑内

に向かいました。

 水槽の中にボートを浮かべ、そこで来る

日も来る日も、20インチ(直径約50

センチ)の高感度センサーを一つ

ひとつ手作業で壁面に取り付けていく。

 17時頃まで作業が続き、何かトラブル

があれば、夕方勤務の鉱山の人たちと

一緒に、22時48分の最終のトロッ

コで帰ることもありました。

 鉱山のアパートに住み込み、食事やお風

呂は隣の鉱山の寮にお世話になりました。

【外尾】
 よくそれだけの過酷な作業に

耐えられましたね。

【梶田】
 たぶん自分の性に合ってたんでしょう。

 鉱山での日々は実に楽しくて、何の

苦労も感じず一所懸命に打ち込

んでいました。

 大学院時代はカミオカンデの実験が

面白くて、そのために何でもやっ

ていたという感じですね。

 4か月後の1983年7月6日にカミオカンデ

は完成し、データ収集が始まりました。

【外尾】
 小柴先生からはどんなことを

学ばれましたか?

【梶田】
 それはやっぱり研究に対する

根本の考え方ですね。

 小柴先生はよく私たち学生に対して、「常

に考えて、自分の考えが実現できる時を常

に探っておくんだ」と言っていました。

 実際、小柴先生は1978年、研究仲間の

先生から実験装置の依頼を受けた時に

考え始め、それがカミオカンデに

なったと聞いていますが、な

ぜそのような案が出たかと

いえば、依頼される20年

も前から同じような実

験装置を考えていたそうなんです。
 
また、こういう言葉も繰り返していました。

 「俺たちは国民の血税を使わせてもらっ

て、夢を追っているんだ。だから、業

者の言い値でものは買うな。国民の

血税を無駄にしたら申し訳ない」

 カミオカンデに設置された千個の高感度

センサーは、カミオカンデ実験のため

に開発された特殊なセンサーです。

 この特注品でさえ、小柴先生は半値

くらいまで値切りました。

 国民の税金を使わせてもらっているん

だから、一旦研究を始めたら必ず成

果を出すんだという強い思いは、

私の中に確実に受け継がれています。

 『致知』2018年10月号

     特集「自己を丹精する」P60

今回も最後までお読みくださり、

             ありがとうございました。感謝!

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