国づくりのバトンとは即ち私たちの親戚の物語 第1,493号

歴史教育の偏向と教育現場で戦い、教壇を去った

いまも後進育成のために講座を開き、長年

培ってきた歴史授業を伝授している齋藤武夫さん。

その目から鱗の教育事業の実践例を

お話しいただきました。

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日本列島が誕生したのは一万数千年前。
悠久の時間をかけて日本という
国や文化が少しずつ形づくられていきます。

しかし、長い歴史の中で日本人がどこかに
移動したことや、他の民族に押し寄せられて
征服されたことは今日まで1度もありません。

大東亜戦争後、7年間アメリカに占領された
時が唯一の例外です。

私は征服と滅亡の繰り返しだった世界の歴史に
ついて話し、日本だけが誕生から今日まで単一
の国だったこと、私たちの背後の無数の先祖が

この日本列島のどこかで生きていた事実を強調

します。

「すげぇ! 日本は世界最古の国だったんだ」

子供たちからはそんな驚きの声が聞こえます。

「さぁ、いま教わったことに『国づくりのバトン』

と名前をつけます。

日本というのは、大昔から大和民族がコツコツと

築き上げてきた国だ。

君たちのご先祖様の国づくりのバトンパスに

よって皆でつくり、守ってきた国なんだよ」

「歴史とはたくさんのご先祖様たちによる

国づくりの歩み、私の命がいまここまで

歩いてきた長い物語」。

すこし気取った表現をすれば、そんな言い方

もできると思います。

さて、ここまで話すと、1つの疑問に

ぶつかります。

ご先祖様の数は遡るほど増えていくのに、
日本の人口の推移はそれとは真逆だという
ことです。

日本の人口が1億人を超えたのは僅か3、40
年前の話です。

この矛盾をどのように解決すればいいのでしょうか。

実は私も長い間、それが疑問でした。
ある大学の数学の先生に聞いたところ

「答えは1つしかない。
私たちの先祖はどこかで重なり合っていたんだよ」

という返事をいただきました。
いってみれば日本人は皆、
遠い親戚同士だったということなのです。

ここでまた、
「国づくりのバトンとは即ち私たちの親戚
の物語」という答えが導き出されます。

「織田信長も徳川家康も、君たちとどこかで
繋がっているのかもしれないよ」

歴史を身近に感じ、子供たちの目が

キラリと輝く瞬間です。

※本記事は月刊『致知』2019年6月号「看脚下」

から一部抜粋・編集したものです。

続きはWEBchichiで公開中。こちらから 

 今回も最後までお読みくださり、

       ありがとうございました。感謝!

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