列島改造の問題意識と意欲を持っていたことが推察できる 第 1,971号

 戦後日本の政治を動かし続けてきた彼らの

政治的行動から日常の癖、意外な素顔に

至るまでを詳細に綴る。

 幹事長室長として最初に仕えたのが田中角栄

その人であったのは、はたして幸福なこと

だったのかどうか、私は今も結論が出せない。

 後述する「金権的なもの」も含めて“政治”と

いうのがいかに人間臭い所業であるのかを、

文字通り身をもって体験することが出来

たと思っている。この自信が30年あ

まりにおよぶ自民党幹事長室長と

いう仕事を全うするうえでの

礎になったことは、疑う余地がない。

 田中は「幹事長の中の幹事長」であった。

田中のスタイルを理想と仰ぎ真似ようと

試みた後の多くの政治家は、誰ひとり

として彼の域に達することが出来なかった。

 駆け出しの私がこの人に仕えるというのは、

いきなり目の前にメインディッシュを

供されたようなものである。

 サロン然とした幹事長室田中は、豪放磊落

なイメージも強く、確かにその通りでは

あるのだが、同時に神経質な一面

も持ち合わせていた。

 地図を持参の地方出張人情家で浪花節的

で、せっかちで行動的な人柄から、とも

すれば大雑把で力任せのイメージが

強いのだが、田中は“コンピュー

タ”といわれるほど実は合理

精神に富んだ政治家でもあった。

 国政の場にいる以上、たえず日本の将来を

見据えた政策を掲げ実行に移すことは当然

なのだが、私が間近に見た政治家でこれ

をやり遂げた人間は何人もいない。

 政策をまとめても、法案として可決成立させ

実行に移すのは並大抵の力量ではない。

だが田中はそれが出来た。

 思い出すのは、幹事長として地方に出張する

と必ずと言っていいほど、その地方の地図を

携えていたこと。例えば「石油タンカー

は何十万トン時代になるが、これを

受け入れられる港は限られるよ

なぁ。志布志湾か……」と

地図を睨みながら鹿児島に出かけるのである。

 早くから、列島改造の問題意識と意欲を

持っていたことが推察できる。

 選挙を控えた11月、田中の指示で「資料作り」

をしたのが思い出される。党本部七階の和室。

当時“選挙の神様”といわれていた選挙対策

事務局責任者の兼田喜夫から全国各選挙

区の情勢を聞いてまとめる作業で、

兼田のほかには田中秘書の

麓邦明、早坂茂三と私だけと

いう、極秘裏の作業だった。

 奥島貞雄『自民党幹事長室の30年』

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  今回も最後までお読みくださり、

     ありがとうございました。感謝! 

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