修業に耐え抜くとやさしさが生まれます = 2-2 = 第 2,608 号

 やはり見る目がないときに何を見にいったっ

てダメだよ。見る目がないときに、ものを

見に行くと、人の言葉を借りて見るだけだな。

 結局、あの曲線が美しいと本やパンフレット

に書いてあることを評論家みたいにいう

だけだ。思ってもいないことだ。


 西岡棟梁はつねづね、ほかは見なくても

いい、法隆寺だけを見ておけって、よう

いっていた。それで十分なんだよ。あ

のころ棟梁は、「ここには法隆寺

がある、分からないことがあっ

たら法隆寺に行けばいい。

ほかにはなんにも見え

なくていい」といっていたな。

 うまくなるときは一気になる。徐々にでは

ない。一気だよ。人間、悟るってことが

あるやろ。それと同じ。一気にある日、

あるときにわかるんだな。もちろん、

本人もわかるな。

それは俺も見ていてわかるよ。

 西岡棟梁もいっていた、「芸事の世界は鈍が

勝ち」というんだって。器用ではなくて、

鈍くても一所懸命なやつが最終的

に勝つというんだな。

 学校は、勉強しかないから、頭に入れるだけ

でいいんだよ。それが頭のいい、できる子や。

でも、大工は基本的には全部応用だよ。

 技術や心構えがある程度までいったら、本も

読み、実際にやってきたことの裏付けができ

るぐらいの知識は持つべきだな。最初から

知識でやっちゃだめだぞ。はじめは全然

教えない、教えないで工夫させておく。

 現場を見れば大工の腕が分かる。うちで

やかましくいうのは整理整頓だ。うちの

現場も材木の置き場もきれいやで。

事場や現場を見ればその人の腕がわ

かるというのは本当だよ。

 それは仕事用に現場が身構えているかどうか

だからや。整理整頓というのは、頭の中の

整理だよ。無駄なものを置かないということだ。

 一所懸命やるというのは、200年か300年後

に解体したとき、解体した大工さんが、ああ、

こういう丁寧な仕事をしていたんだなと、

俺たち工人の顔を思い浮かべてくれる、

そのときになったらわかってくれる

だろう、そういうことだ。

 一番思うのは、いまは昔のように普請道楽

をする人とか、施主に見る目のある

人が少ないことだ。

 親方に怒られながら10年間基礎を学び、

つぎの10年は世の中を知り、他の職人

を知る。そして自分に気づく。怒ら

れるのはここまで。40歳にして

全開。40歳で全開にならない

やつは、いままで何の修業

をしてきたかということ

やな。40.50は充実するころ。

 「花はゆっくり咲くがいい」っていうのは

俺が考えた文句だけど、そんなに早く

花を咲かせる必要はないよ。

 不揃いが総持ちで支えあう。不揃いな材で

つくった法隆寺や薬師寺の塔は、それらが

一本一本支え合って、「総持ち」で立っ

ているんだからな。総持ち、いい言葉

だな。みんなで持ち。不揃いこそ、

社会のかたちとしては安定感があるし、強い。

 時間に追われていたら不揃いなんていって

いられないんだから。しかし、人を育てる

には急いではあかん。急いだら人は育た

んで。不揃いの中で育つのが一番や、

そう思うよ。

小川 三夫  (著)『不揃いの木を組む』

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 今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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