会社はやはり最後は人だということだ 第 1,882 号

 逃げたらあかん!「不良債権と寝た男」、死に

物狂いの仕事人生。安宅産業処理、平和相銀・

イトマン事件、磯田一郎追放劇、銀行大

合併、UFJ争奪戦、小泉・竹中郵政

改革……。現場にいたのは、い

つもこの男・西川善文だった。

 「最後の頭取」=ザ・ラストバンカーと呼ば

れた著者が綴った、あまりに率直な肉声!

 銀行員として営業を経験した期間は、新入行員

時代に大阪の支店で過ごした3年間と、丸の内

支店長を1年務めた、たった4年しかない。

 がむしゃらに働いた30代半ばから50代半ばの

ほとんどの期間を、安宅産業の破綻処理、平和

相互銀行合併問題とイトマン事件の処理、そ

してバブル崩壊に伴う不良債権処理に費やした。

 一刻も安穏とすることは許されなかった。

スピードと力のある決断がつねに求められた。

ただただ、ひたすら全力で走ってきた。

 この本を読んでくだされば痛感されることと

思うが、実は日本はずっと危機の時代にいた

のだ。まさに私の銀行員人生そのものがそ

うで、平時であったことのほうがはるか

に少ないのである。現下の危機もきっ

と克服できる。そのことを何より

本書でお伝えしたい。

 私は入行後3年間の支店勤務を終えて、1964

年に本店調査部に異動し、企業調査、業界調査

を担当することになった。以後6年間の調査

部時代にバンカーとしてのバックボーンが

できたと私は思っている。その経験がな

ければ、私はずっと後に企画部門や頭

取として住友銀行の危機に対処する

重責をとても担えなかったにちがいない。

 住友銀行の調査部には、長い歴史があり、

優秀な人材を多く輩出した。企業調査に

は一般的に実地調査と机上調査がある

が、住友銀行は実地調査を原則とし

た。対象会社の了解を得た上で、

公表された財務諸表のほか、

帳簿、伝票類まで見せてもらった。

 私は簿記、会計、法人税務などの知識は皆無

に等しかったので、先輩の指導を受けながら、

関係の書類を買い込み、独学で勉強した。

 私は調査部にいた6年半というもの、帳簿な

ど財務資料の読み込み方を徹底的に鍛えられ

ることになった。本当によく働いたし、よ

く勉強できた。また、銀行とはいかにあ

るべきか、そこに働く人間はどうある

べきかについて自分なりに考えた。

 本当にいろいろなお客がいた。いい会社と

も、よくない状態の会社とも付き合った。

そしてわかったのは、会社はやはり

最後は人だということだ。

 会社の良し悪しは経営者で決まる。

 日本郵政の社長に就任して、郵政が持ってい

る「現場力」と「ネットワーク」のすごさを

実感させられたことは一度や二度ではなか

った。何ごとも現場を見ろ、現場に聞け、

現場に学べであって、社長に就任して

から沖縄から北海道まで、できるだ

け各地の郵便局を訪問するように心がけた。

 郵便局の「ヒト・モノ・カネ」のネット

ワークの大きさは、当然、銀行時代から

研究してきたし、脅威にも感じていた。

 しかし実際に中に入ってみると、その緻密

さと底力は想像以上だった。これこそが郵

便局にとって最大の経営資源であり、国

民全体の財産なのだという思いを深く

することが多くなっていく。

 西川善文『ザ・ラストバンカー:

          西川善文回顧録』

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  今回も最後までお読みくださり、

     ありがとうございました。感謝!

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