事業はきわめて個人趣味の色彩が濃いものだった 第 2,576 号

 時代を読み、需要を先取りする動物的な勘。

多くの人を惹きつけ、統率する牽引力。そ

して、強烈な自負心と強運。日本を代表

する有名企業をつくった「創業社長」

には、どこか共通するカリスマ性がある。

 1987年8月、(盛田)英夫が代表取締役と

なり東京・南青山に「東京?楽部」という

会社が設立される。東京?楽部が掲げた

目的はただひとつ、スキー場の経営である。

 名家の出である(英夫の父でソニー創業者の)

盛田昭夫は齢を重ねてもハイカラなスポーツ

に興じることを好み、当時、写真も多く

撮られていたから、そのことは世間

でもよく知られている。

 当初、第1期から第3期にかけ270億円を見込ん

でいた開発費は難しい地形ということもあり

第1期だけでおよそ500億円に膨らんだ。

 巨額の開発費は一族の最重要資産である

ソニー株が持つ莫大な価値をもっぱら

あてにして調達されたのである。

 巨費を投じたスキー場はその高評価とは裏腹

に赤字経営が続いた。新井リゾート開発は

現物出資されたソニー株を少しずつ売り

払って現金化せざるを得なかった。

 英夫の関心は意外な方向へと向かっていく。

ひとりの英国紳士と出会ったのがすべての

始まりだ。その人の名はバーニー・エク

レストンという。世界最高峰のモー

タースポーツF1の世界で多大な

影響力を持つ怪人である。

 英夫はレイケイにおける会議でこう発言して

いる。「F1事業はハイリスクであり、投資

の配当の何の保証もない。また、この貸

し付けはたぶん返済されないことを

認識している」というのである。

 F1参入は最初から採算を度外視した常識

外れに贅沢な、きわめて個人趣味の

色彩が濃いものだった。

 2002年シーズン、アジアテックはミナルディ

にエンジンの無償供給を続け、そこであえ

なく力尽きる。英夫のF1参入の夢は

わずか2年で何も得ることなく終わったのである。

 英夫は、「盛田昭夫」という巨大な存在から逃れ、

克服するために自分だけの成功を追い求めたの

かもしれないが、結局それは果たせなかった。

 大塚家具の大塚家、大戸屋の三森家、ゲオの

遠藤家も、会社の経営権をめぐって、激しい

内紛を展開している。さらに、創業家の

持つ巨額の資産には、「資本のハイエナ」と

呼ばれるような地下金融の住人たちや、M資金

という古典的な詐欺師たちが群がり、甘言

を尽くしてカネを吸い取ろうとする。

を覆うような悲喜劇は、そこに巨額の

資産があるからこそ起こる。

高橋 篤史 (著) 『亀裂。創業家の悲劇』

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  今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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