ただ知りたいから.知っておきたいから知る = 2-1 = 第 1,767 号

 現場で「敗戦」を見つめた毎日新聞・藤田

信勝から、天声人語の名コラムニスト・深

代惇郎まで、今は亡き24人を列伝でつな

ぎ、人物を通して、新聞が輝いていた

時代と、記者たちの矜持を描き出す。

 「伝説の記者」といわれた守山義雄。

いつも寡黙だった守山部長が繰り返

し言っていたことを、森本は覚えている。

「おもろいと思ったこと、それがニュースや」

「おもろいと思ったこと、それを調べればええのや」

「おもろいと思ったこと、それを書きなさい」

 後藤基夫は「裏の裏まで知る政治記者」

といわれていた。後藤を知る人はこう

いっている。「ひと言でいうと、書

かざる大記者という面があった。

取材源についてはほんとすごかった」

 新聞記者には「掘り屋」と「書き屋」がある。

取材対象に迫り、一体になってまでも材料を

取ってくるのがいなければどだい話になら

ないが、これはたいてい文章を不得手と

する。記事表現するためには「書き屋」

がいなければならない。政治記者に

も特ダネ派と評論家タイプがいる

ということだ。

 双方を兼ね備える記者というのはなかなか

いない。後藤は材料が取れ、かつ書ける

数少ない記者だったとされる。

 後藤も記者として走り回っていた、はずで

ある。ポケベルもなければ携帯電話もない

から、今と違って新聞記者の自由度は高

い。しかしそれにしても後藤の行方不

明度も高かった。政治部長が「ゴッ

ちゃん呼んでくれ」と言う。

 捜すけれどつかまらない。「まる

で潜水艦」と言われた。

 若手記者は後藤が、「どこの誰から、どん

な方法で、こんなすごい情報をとること

ができるのか、不思議でならなかっ

た」と言っている。

 後藤が、どこの誰と親しかったかは、永遠

の「謎」として残っている。そもそも主た

る取材相手たる政治家との親密度から

して伝説的であった。

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 今回も最後までお読みくださり、

     ありがとうございました。感謝!

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