すべて頭の中のモーターを動かす材料となった 第 2,583 号

「日本列島改造論」に代表される国土開発計画

の提唱、独自の資源外交など、先見性と構想

力に富んだ優れた政策立案者だったこと

でも知られている。

 本書は「政策立案者・田中角栄」にフォーカス

し、令和の現代に彼が首相であれば、どのよう

な政策を打ち出して、混迷日本を変えていこ

うとするかを大胆に予想。

 通産大臣時代、角栄は毎晩3つの宴席を梯子した

が、秘書官によると、ほとんど酒を飲まなかった

という。午後6時からスタートし、1時間刻み

で宴席を回り、経済界や産業界のトップと

会談し、真剣勝負の「耳学問」の場とした。

 泥臭い一般的なイメージとはかけ離れるかも

しれないが、田中角栄は最先端の技術の導入

についてかなり貪欲だった。

 通産省出身で首相の秘書官として角栄を支えた

小長啓一も「田中さんは先入観を持たず、新し

い知識の習得にも積極的だった」と語る。

 角栄の最終学歴は中央工学校である。一般的に

は「高等小学校卒の総理大臣」で通っているが、

その角栄が後に「コンピューター付きブル

ドーザー」との異名をとるに至ったのは、

生来の卓越した記憶力によるところが大きい。

 子供のころ吃音症で、これを克服するために、

毎朝、畑で六法全書を読み上げるうちに暗記

してしまった。一種の「天才」である。

 小長によると「天才たらしめる、ものすごい努力

が陰にはあった。人にはわからないように懸命

に努力をしていたのが田中さん」ということ

になる。実際に角栄は小長に「努力の天才」

という言葉をよく使っていたという。

 経済界、産業界の超一流のトップから直接、

「授業」を受けるわけだから、習得も早い。

世界レベルの最先端技術に関するかなり

の量の内容が、角栄の頭の中に積み

込まれていった。

 しかも角栄は夜10時過ぎには自宅に帰り寝て

しまうのだが、午前2時になるとむくっと

起き上がる。ここが異才だ。いそいそ

と勉強を始め、役所が用意した資料

やデータ、関連図書をしっかり

読み込む努力も続けた。

 40年あまりの議員生活で33本という前人未到

の数の議員立法を成立させた裏には、このよう

な人知れず地道な努力があったわけだが、

ここでも最先端の技術について知識

を習得していった。

 広辞苑から、英和辞書、漢和辞典、六法全書、

そして江戸小唄のようなものまで、角栄に

とっては、すべて頭の中のモーター

を動かす材料となった。

 それも、1ページずつ破ってはポケットに入れ

て暗記し、暗記したらまた次のページを破る

というやり方で、片っ端から頭の中に

叩き込んでいった。

 なかでも六法全書には詳しかった。これは

子どものときの吃音症を克服するために、

毎朝、野原に出て大きな声で読んでいたからだ。

 前野 雅弥 (著)『田中角栄がいま、首相だったら』

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  今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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