このような場面でこの力が出せるのがお母さんの大きな愛 第 358 号

 「日本教育界の至宝」と讃えられた

東井義雄先生がある講演の中で、長崎に原子爆弾

が落ちた時、10才だった荻野美智子さんの

作文を紹介されています

 原爆忌を前に、その作文を紹介します。

────────[今日の注目の人]───

東井 義雄(教育者)

※『自分を育てるのは自分』(致知出版社)

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 雲もなく、からりと晴れたその日であった。

 私たち兄弟は、家の二階で、ままごと

をして遊んでいた。

 お母さんは畠へなすをもぎに行った。

 出かけに、11時になったら、ひちりんに火を

おこしなさいよ、と言いつけて行った。

 けれども、私たちは遊びが面白いので、時計が

11時になったのに、一人も腰を上げず、

やっぱりままごとに夢中になっていた。

 その時、ピカリと稲妻が走った。

 あっと言うた時はもう家の下敷になって、

身動き一つできなかった。

 何とかして出ようとすればするほど苦しくなる。

 じっと外の様子をうかがうより仕方がなかった。

 二人の姉の姿が外に見えた。

 大喜びで「助けて、助けて」とわめいた。

 姉たちは、すぐ走り寄って来て、私を

助け出そうとした。

 しかし土壁の木舞いの組んだのが間をさえぎって

いて、押しても引いてものけられなかった。

 大きい姉が、「我慢しろ。ねえ、もうじき

お母ちゃんもお父ちゃんも帰ってくるけんね。

姉ちゃんは誰か呼んでくるけんね」

励ましておいて、向こうへ走って行った。

 私は、縦横に組んだ木舞いの隙間から、わずか

ばかり見えてる外を、必死に見つめて、お母

ちゃんが来るかお父ちゃんが来るかとまっていた。

 やがて、大きい姉ちゃんが、水兵さんを四・五人

連れて走って来た。

その人々の力で、私は助け出された。

 フラフラよろめき、防空壕の

方へ行こうとした。

 家の下から、助けてえ助けてえと叫ぶ

声が洩れてきた。

 弟の声であった。

 大きい姉ちゃんが一番先に気付いて、沢山の

瓦を取りのけて、弟を引き出した。

 その時、また向こうのほうで、小さな子の

泣き声が洩れてきた。

 それは二つになる妹が、家の下敷になって

いるのであった。

 急いで行ってみると、妹は大きな梁に足を

挟まれて、泣き狂っている。

 四・五人の水兵さんが、みんな力を合せて、

それを取りのけようとしたが、梁は四本

つづきの大きなもので、びくともしない。

 挟まれている足が痛いので妹が両手を

ばたつかせて泣きもがいている。

 水兵さんたちは、もうこれはダメだと

言い出した。

 よその人が水兵さんたちの加勢を頼みに

来たので、水兵さんたちは向こうへ

走って行ってしまった。

 お母さんは、何をまごまごしてるんだろう、

早く早く帰って下さい。

 妹の足がちぎれてしまうのに。

 私はすっかり困ってしまい、ただ背伸びして、

あたりを見まわしているばっかりだった。

 その時、向こうから矢のように走って

来る人が目についた。

 頭の髪の毛が乱れている。

 女の人だ。

 裸らしい。

 むらさきの体。

 大きな声を掛けて、私たちに呼びかけた。

 ああ、それがお母さんでした。

 「お母ちゃん」私たちも大声で呼んだ。

 あちこちで火の手があがり始めた。

 隣りのおじさんがどこからか現われて、

妹の足を挟んでいる梁を取りのけようと、

うんうん力んでみたけど、

梁はやっぱり動かない。

 おじさんはがっかりしたように大きい

溜息をついて「あきらめんばしかたのなか」

いかにも申し訳なさそうに言って、おじぎ

をしてから向こうへ行ってしまった。

 火がすぐ近くで燃えあがった。

 お母さんの顔が真青に変わった。

 お母さんは小さい妹を見下している。

 妹の小さい目が下から見上げている。

 お母さんは、ずっと目を動かして、梁の

重なり方をみまわした。

 やがて、わずかな隙間に身を入れ、一ヶ所を

右肩にあて、下くちびるをうんとかみしめると、

うううーと全身に力を込めた。

 パリパリと音がして、梁が浮きあがった。

 妹の足がはずれた。

 大きい姉さんが妹をすぐ引き出した。

 お母さんも飛びあがって来た。

 そして、妹を胸にかたく抱き締めた。

 しばらくしてから思い出したように私たちは、

大声をあげて泣き始めた。

 お母さんはその声を聞くと、気がぬけたのか、

そのままそこへ、へなへなと腰を

おろしてしまった。

 お母さんは、なすをもいでいる時、

爆弾にやられたのだ。

 上着ももんぺも焼き切れちぎれ飛び、

ほとんど裸になっていた。

 髪の毛はパーマネントウエーブをかけ

すぎたように赤く縮れていた。

 体中の皮は大火傷で、じゅる

じゅるになっていた。

 さっき梁を担いで押し上げた右肩のところ

だけ皮がペロリと剥げて、肉が現われ、

赤い血がしきりににじみ出ていた。

 お母さんはぐったりとなって倒れた。

 お母さんは苦しみ始め、悶え悶えて

その晩死にました。

※この作文を受けて東井さんは子供たちに

こう話されています。

 「これは、特別力持ちのお母さんだった

でしょうか。

 四人も五人もの水兵さんが、力を合せても、

びくともしないものを動かす、力持ちの

お母さんだったでしょうか。

 皆さんのお母さんも皆さんがこのように

なったらこうせずにおれない。

 しかもこの力が出てくださるのがお母さん

という方なんです」

 月刊『致知』9月号の特集テーマは

「恩を知り 恩に報いる」です。

 この一冊が 平和の尊さを噛みしめると

ともに、父母への恩について考える

きっかけになれば幸いです。

 「平和の大切さ」と、今を「生きられる

幸せ」を伝えていければ幸いです。

  今回も最後までお読みくださり、

    ありがとうございました。 感謝!

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